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未来の自分にバトンパス!


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去年行われた東京オリンピック。コロナの影響で無観客での開催とはなってしまいましたが、世界のトップアスリートのパフォーマンスや日本人選手の活躍は記憶に新しいところだと思います。日本は、歴代最多のメダルを獲得しました。そして、多くの人たちがメダル獲得を期待していた種目がありました。その中の一つに、金メダルを期待されていた男子4×100mリレーがありました。前回大会のブラジルのリオデジャネイロで開催されたリオオリンピックでは銀メダルを獲得しました。日本は個で劣るにも関わらず、バトンパスを武器にして銀メダルを獲得することができました。そして、今大会の目標は「メダルではなく金メダル」として、最大の武器であるバトンパスの精度を極限まで高めることにより目標を実現しようと選手たちは考えていました。しかし、その一方でバトンパスを失敗してしまうリスクが高まるのも事実でした。いわば、目標を達成するための攻めのバトンパスでした。

地元開催という大きなアドバンテージに加えて歴代最速と言われていた日本チーム。第一走者は、100mの最高タイムが10.01秒の多田修平選手です。そして、第2走者は、100mの最高タイムが9.95秒と日本最速のタイムを持つ日本のエース山縣亮太選手、第3走者は日本で初めて10秒の壁を破った桐生祥秀選手、そしてアンカーは9.98秒を最高記録に持つ小池祐貴選手が務めます。4名中3名が9秒台という記録をもつ日本チームに日本国民の期待は自ずと高まっていきます。

無観客ということもあり異様な静けさの中、決勝のスタートの号砲がなります。第一走者の多田修平選手は、とても良いスタートを切ることができました。第3,4走者の桐生・小池選手は「速い!」「行けるぞ!」と思い、自分の番を待ちます。そして、多田選手がどんどん加速していき第2走者の山縣選手に近づきます。山縣選手は、攻めのバトンをするため出来るだけトップスピードに近い状態でバトンをもらえるように、多田選手を信じて予選よりも早くかつ思いっきりスタートを切ります。そして、多田選手が山縣選手にバトンを渡そうと手を伸ばし、バトンが山縣選手の手に触れました。しかし、無情にもバトンは地面に落下してしまいました。原因は、皮肉にも多田選手が想定よりも良い走りをしたことで、隣のレーンの選手達と次走者の姿が重なって山縣選手の姿を一瞬見失ってしまったことでした。走ることができなかった桐生・小池選手は、ゴールした国々が歓喜している姿を横目に、多田・山縣の両選手のもとに歩みより「攻めのバトン」をした2人に声をかけました。そして、歩くのもやっとだった多田選手の体を支えて、取材エリアに向かいインタビューを受けるのです。4人は、失意や落胆、涙…それぞれの思いと表情が入り混じる中で5分ほどのインタビューに応え終わると観客のいないスタジアムに拍手がなりはじめました。やがて、オリンピック関係者、ボランティア、メディア関係者と拍手は広がり、4人の姿が見えなくなるまで1分あまり、スタジアムに響き続けたのです。

特に桐生祥秀選手は、この種目に並々ならぬ思いを寄せていました。というのも、若くして10秒の壁を日本で初めて破り将来を嘱望(しょくぼう)されていましたが怪我や不調により自分の力を思うように発揮できずに、今大会では個人100mに出場できなかったからです。そんな桐生選手がこのオリンピックを振り返って次のように言っています。「もちろん走りたかったという思いはあります。ただ、このミスや悔しさがあるから次につながるはずです」と。目標達成や夢の実現など、何かを成し遂げる際には、思うようにいかないことや失敗してしまうことは多々あります。しかし、私は考えています。「乗り越えることができない壁などない」と。その時は、失敗してしまったとしても、それは決して終わりを意味しているわけではありません。むしろ、その悔しさや経験を糧に次に繋げることができるはずです。それこそが、ド根性!だと私は信じています。そして、最高の仲間がいます。時には競い合ってお互いを高めあい、また時には励ましあい勇気をもらえるそんな仲間が。未来の自分にバトンを渡すのは、今の君たちです!未来輝く君たちを私達は全力で応援していきます。
伊東本部校 岡田 怜