だれかの「気持ち」を知る力
先日、学力調査を終えたその日に、生徒から「国語ってどうやって勉強すればいいですか」と質問がありました。確かに、学校の定期テストは出題範囲が決まっているので、国語の場合は教科書や学校の授業内容を振り返って準備することが出来ますが、学力調査や入試のように、当日初めて見る読解文については、勉強も中々難しく、頭を抱える生徒も多いと思います。
読解力を上げるために「たくさん本を読むこと」、「国語の問題数をこなしていくこと」は前提として、私がみなさんにお話しするのは、日ごろから「誰かの気持ちを考えてみる」ことです。
たとえば物語の中で「こぶしを握る」という表現が出てきたとします。もしこれが「強く責め立てられたが、何も言わず、ぐっとこぶしを握った」と書いてあれば、ここからは登場人物の「我慢」が感じられます。ほかにも、「次は絶対に優勝する、そう呟(つぶや)いて静かにこぶしを握った」とあれば、そこからは「決意」が感じられます。さらに、「満点の文字に、力強くこぶしを握った」とあれば、「嬉しさや達成感」が伝わります。「こぶしを握る」という一つの動作だけでも、どういう場面でどのように握ったかにより、動作主の心情はだいぶ異なってきます。 物語文でこうした間接的な表現が多いのは、その方が読み手の想像力をかき立てることが出来るからです。そしてそこに必要とされるのが、国語の「読解力」です。文学的文章では、登場人物の心情やそのきっかけとなった部分が問題として出題されることが多く、またそれがその文学作品のテーマに繋がってきます。つまり、文学はだれかの気持ちや考えなど、「心」と常に密接な関係があり、国語の問題を解く過程では、その「心」の部分を深く考える力が必要になるのです。
みなさんも日常的に、周りの人の些細(ささい)な動作や表情から相手の気持ちを読み取ることがあると思います。そして、その人の表面的な部分ではなく、「本音」の部分を感じ取ることが国語力アップに繋がると私は思います。もし、なかなか国語の力が上がらない…と悩んでいる人は、周りにいる友人や家族の「本当の気持ち」について考える時間をぜひ作ってみて下さい。